こんにちは。
らっしー&シナモン(らっしなもん)の飼い主Aです。
あっという間に秋らしくなってきましたね。
今年も、特に夏らしいことはしないまま夏が終わりました。
今年の夏は、私にとって、つらくて、悲しくて、苦い経験をした、人生で1番忘れられない夏になりました。
私は看護師をしていて、急性期病院に勤めていますが、今はお仕事を休んでいます。
少しずつ気持ちも落ち着いてきたので、今日は気持ちの整理をするために、流産した日のことを書こうと思います。
もし、同じ経験をされて、今もつらい気持ちから抜け出せずにいる方にとって、少しでも救いになればいいなと思っています。
私も流産したときは、いろんな方の経験談を読みあさりましたから。
私たちには、子どもがいません。
看護師って自己犠牲の精神が強い人が、物凄く多いんですよね。
今は『ワークライフバランス』なんて言葉も良く耳にしますが、私に言わせれば、フルタイムで働く急性期病棟の看護師は『ワークワークワーク』でした。
毎日が『オーバーワーク』です。
職場にいる時間の方が、自宅にいる時間より長いのは当たり前ですが、朝7時半に職場に着いて、22時過ぎに病棟を出ることも多々ありました。
30代も半ばに差し掛かり、そろそろ自分の『女性としての時間の使い方』を考えるようになりました。
そんな私たちに、初めて赤ちゃんの存在がわかったのが、今年の5月でした。
嬉しさはもちろん、仕事がハードなので不安も強くありました。
抗がん剤投与の曝露の心配、寝たきりの患者さんの護送や体位変換、夜勤を含む長時間労働による精神的ストレス。
体を第一にしたい気持ちと、スタッフに迷惑をかけたり、患者さんに何かあってはいけないという気持ちから、常に「赤ちゃんに何かあったらどうしよう」という不安とともに暮らしていました。
らっしーの力強いタックルが怖くなったし、距離感が難しくもなりました。
夜勤は相変わらずハードで、重症患者さんが多く、看取りも続きました。
何度もトイレに駆け込みながら働いていたのを思い出します。
吐けずに涙だけ流して、、、の繰り返しで、トイレジャックしていたのは私です(_ _)
順調に2回の心拍確認を経て、母子手帳の交付を受けることができました。
元々、つわりはひどくない方だったのですが、母子手帳を交付された日を最後に、つわりはほとんどなくなりました。
初めての妊婦検診の日を迎え、わくわくしながらクリニックに向かいました。
そこで看護師さんから「今日から妊婦検診ですね。赤ちゃんの様子を動画で撮ってもいいですよ~」と初めてエコーの動画撮影の許可をいただきました。
帰ったらパパに見せてあげよう!と録画を始めたところで、様子がおかしいことに気づきました。
前回までピコピコしていた心拍が見えません。
もしかして・・・と思ったときに先生から、「心拍が確認できません。初めての妊婦検診を迎えて、成長を楽しみにされていたと思います。心苦しいのですが、前回の検診のあとで心拍が止まってしまったみたいです。」と告げられました。
なんて悲しい動画撮影会なんでしょう。
(一部始終、録画していますが、いまだに動画を見ることも消すこともできずにいます)
続けて「このあと、他の医師と確認して、心拍が止まっているという判断が覆らない場合、流産ということで、赤ちゃんが自然に出てくるのを待つか、赤ちゃんを出してあげる手術を受けることになると思います。」と。
・・・
まずは、パパの顔。
それから、気遣ってくれていた職場のみんなの顔が次々に浮かびました。
頭の中で大切な人たちの顔が浮かんだけど、言葉はなにも思い浮かばない。
はっと我に返ったとき、初めて浮かんだのが、「流産手術を受けるなら、シフトを変えてもらわないといけない」と、仕事のことでした。
我が子の命を失ったそのときでさえ、私は仕事の心配をしているのか。
流産の診断が確定して、手術の日取りを1人で決めて、「お力になれずすみません」という先生に「こんなつらいお話をさせてしまうことになって、すみません。」と伝えて退室しました。
待合室にいる間、「ああ、だめなんだ。私はママになれないんだ。あんなに優しい彼をパパにしてあげることもできないんだ。おなかの中で我が子を育ててあげることもできなかったんだ。」とただ考えていました。
初めての妊婦検診。
初めての母子手帳には、『子宮内胎児死亡』と記録されていました。
涙は全く出ませんでした。
悲しい気持ちをコントロールすることも、いつの間にか上手になりました。
看護師だから、泣いちゃいけない。
彼には「流産だった」と連絡をして、会計を済ませて近くで待ち合わせました。
合流したときの彼の顔。
ああ、泣いたんだな。目を赤くしていて、私を見て声をあげて泣きました。
そのときに初めて、私も涙が溢れてきました。
看護師の前に、私は1人の人間であって、1人の母であって、我が子を亡くしたことを悲しんでいけないわけがない。
悲しい気持ちをないがしろにしてはいけない。
やっと、自分の感情に素直になれました。
この人がいてくれて、本当に良かった。
この人の赤ちゃんを産んであげられなくて、本当に悲しい。
それから2日間、全然眠れませんでした。
私は毎日泣いて、眠ることや食べることにも罪悪感がありました。
夜中に突然泣き始めることもあって、彼は私のお世話が大変だったと思います。
自分も悲しかっただろうに、私が泣くせいで悲しめなかっただろうなぁ・・
エコーの赤ちゃんを見て、「あのときの夜勤の日に亡くなったんだな」と思っては、職場環境や看護師という仕事、私に関わった人を責めるような気持ちになりました。
そんなつらい日々も、【らっしなもん】はいつも寄り添ってくれていました。
泣いては寝ての繰り返しだった私は、リビングで【らっしなもん】と寝ていましたが、涙が出ると必ず彼らは、心配そうに近づいて、何度も舐められる肌という肌、すべて舐めてくれていました。
顔も手も何度もペロペロしに来てくれて、泣き疲れて目を覚ますと添い寝してくれている彼らに、あの日の私がどれだけ救われただろう。
うちのセラピードッグたち、本当に優秀です!
ちなみに流産手術を迎える前に、らっしーは1歳の誕生日を迎えました。
お祝いも遅れてしまったし、盛大にはできなかったけれど、にこにこ笑って傍にいてくれるらっしーに、私はいつも愛情と感謝は忘れません!!
我が家に来てくれて、本当にありがとう。
手術(日帰り手術)の当日、「やっぱり手術したくない」と駄々をこねてしまいましたが、手術は無事に終わりました。
術後目が覚めると、手術が上手くいったのかも説明がなくてわからないし、2時間ほどしたら帰って良いですよという感じで、クリニックの対応には少しモヤモヤしました。
コロナ禍での立ち会い分娩は許可されているのに、流産手術は付き添いNGなのも、とてもしんどい思いをしました。
赤ちゃんをお腹で育てられない母親には価値がないと言われているような気持ちに。
自己肯定感バリバリ低くなってました。
一刻も早く帰りたくて、無理して退院した後、帰りのタクシーで死にそうになりましたけど笑
どうしても、産声を聞くのも、産後のお母さんを見るのも、あのときの私には耐えられず、命がけの帰宅を果たしたわけです。
流産手術を終えて、2日休んだら仕事に復帰する予定でしたが、どうしても悲しい気持ちが消えてくれなくて。
どうして、同じく一度は宿った命なのに、流産には忌引きがないんだろう。
私は、思い切って仕事を休むという選択をしました。
職場のみんなに「流産したので、これからは抗がん剤も扱えるし、力仕事もできます!」と伝える勇気が出なかったんです。
自分の子どもの存在を、自分で否定するのは耐えられない。
だって、数日前まで、私は母親だったから。
私は、緩和ケアに携わってきたので、人間の衝撃の段階から回復するまでの期間を勉強してきましたし、患者さんの様子を見てきたのでわかっていました。
ひとは、がんなど告知を受けてから気持ちがすごく揺らいでしまう。
そのつらい気持ちは当然の心理で、受け入れるまでにおおよそ2週間かかる。
ただ、2週間を超えても受け入れられない場合、『適応障害』や『うつ病』になる可能性がある。
この2週間は、特に患者さんの様子を注意して見守らなくてはならない。
がんではないけれども、私もきっと当てはまるだろうと思いました。
流産手術後の3日目で、受け入れて正常に働けるはずがない。
でも、働かないとみんなに迷惑がかかるし、一度休むと行けなくなるかもしれないという不安もありました。
このとき「働ける状態じゃないやろ」と無理に出勤をさせないでいてくれた彼には、今でも私は本当に感謝しています。
たぶん、あのまま働いていたら、私は自分の感情や人生を蔑ろにして生きていくことになったと思うし、精神も壊れていたと思います。
今、健やかにいられるのは、間違いなく、彼のおかげ。
そして、休んでいる間、ずっとそばにいてくれた【らっしなもん】のおかげ。
もし、流産を経験してつらい気持ちになっている方がいたとして、そして、もしいつか、私のこの拙い文章と出会うことがあったとしたら、絶対に伝えておきたいことがあります。
早期流産の原因は、染色体の異常がほとんどであって、どう頑張ってもそこまでしか生きられない生命だったということ。
母親が自分を責める必要は、これっぽっちもないってこと。
流産した悲しい気持ちを、どうか丁寧に扱ってほしいということ。
しっかりと悲しみを悲しみ抜く時間を持ってほしいこと。
悲しみは消えないし、思い出せば今もつらいし、やっぱり涙は出るけれども。
嬉しい気持ちも悲しい気持ちも全部ひっくるめて、この感情を持っていられるのは自分しかいないんだから、目に見えない気持ちこそ、やっぱり大切にしてほしい。
流産を経験した知り合いに「あなたは悪くないし、誰も悪くない」と言われました。
だけど、私もはじめは自分を責めたし、心の中では人も責めました。
たぶん、経験者にしか分からない、この苦しみ。
「あのとき、こうしていたら赤ちゃんは無事だったのかもしれない」なんてずっと考えていました。
だけど、赤ちゃんの魂は、決して私が『そんな私でいること』を望んでいないっていうことが、今はよくわかります。
ネットを見ていると、『赤ちゃんは忘れ物をしたから、お空に忘れ物を取りに帰っただけで、またちゃんと戻ってきてくれる』というような言葉を見かけます。
正直、忘れ物なんてどうでもいいから、まずは産まれてきてくれっていうのが私の本心でした。
だけど、彼の支えと【らっしなもん】の癒やし、それから、職業人としては長期休暇だけど、長い人生においてはちっぽけなこの休憩時間が私の考え方を変えてくれました。
きっと、私たちのところに来てくれた赤ちゃんは、私たちに親になる自覚を与え、人生の見直しの時間をくれたんだと思います。
今までの働き方で、どうやって子どもを育てられただろう。
それから、働き方を真剣に考えるようになりました。
今までのように、慢心で働いて身も心も傷つけていてはいけないんだって、傷ついている自分に気づけないような自分でいちゃいけないんだって思いました。
もしかしたら、大切な人が流産を経験してつらい思いをしているとき、何かしたいけど何をしていいかわからないという方もいるかもしれません。
私が流産を経験してわかった、してほしいことはたった2つ。
ぎゅっと抱きしめて、落ち着くまでそばにいてほしい。
それから、「つらかったね。頑張ったね。眠たくなったら寝ていいし、お腹がすいたら食べてもいい。誰も責めないし、何一つ間違っていない。あなたは悪くない。」と伝え続けてほしい。
結局、残された母親は、気持ちに折り合いをつけて、明日も生きていかないといけないから。
アドバイスがほしいわけじゃない。
ただ、そのとき傷ついている自分を全部ひっくるめて肯定してほしいと、私だったら思います。
私には幸い、抱きしめてくれる人と、責めずに気持ちに寄り添ってくれた人がいたし、しっかり悲しむのに十分な時間を捻出してくれた上司がいました。
「悲しみは他人には計り知れないから。また働きたいと思えるまでゆっくりと休んでください。心配だから、たまに電話しますね。」と思い切り休ませてくれた神上司には、感謝してもしきれません。
やっぱり今思うのは、妊娠・出産って奇跡だし、本当に『命って尊い』ってことです。
本当ならしたくない経験だし、どうして私が?という気持ちはもちろん今もあります。
でも、流産を経験した私だからこそ、命の尊さは以前よりわかるようになったし、妊娠・出産は本当に命がけだと思えたし、初めて母親に産んでくれた感謝の気持ちを持てた気がします。
今は、休養しながら、【らっしなもん】と穏やかな日々を過ごしながら、今後の働き方を考えています。
今の私には、ばりばり働いていた頃のような自己犠牲の精神はありません。
やっぱり、自分が一番大切。
そして、そんな自分が一緒に過ごしている家族やペットも大切。
自分を大切にすることが、きっと家族を大切にすることに繋がっているんだろうなと思います。
悲しいだけじゃなく、尊い経験でした。
でも、やっぱりいつか、私たちの赤ちゃんに会いたい。
そんなことを思う穏やかな昼下がりです。
でも、書きながら、ティッシュ6枚分は泣いたし、鼻噛みました笑
まだやっぱり、思い出すとつらいし悲しいんだってことがわかったので、今日自分の気持ちを知れて良かったです。
同じようにつらい思いをしている方や、その周りでどうしたらいいか悩んでいる方に、いつか届くといいな、と思いながらこのブログを書きました。
私自身、流産を告げられてからというもの、「流産・手術・立ち直り方」と検索する日が続き、1日13時間も携帯を触っていました。
今日は、流産手術までのお話ですが、いつか水子供養のときのお話も書きたいなと思います。
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